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夏の子供たち

 

 

 

「お昼ごはんが済んだら、探検に出掛けよう」

そう言い出したのは啓だった。台所の出来事から数分、居間へ戻ってきた千草も交えて、麦茶を飲んでいる時だった。啓への警戒を解いた私は、祖母の家へ来た本来の目的も忘れ、二つ返事でこれを了承した。当初は千草と庭の草木を眺めるつもりだったが、2,3日の間にそれらが枯れることもないだろう。毎夏祖母の家を覆う緑よりも、私は目の前の美しい少年に興味を示しているのだった。

「山に行くなら、虫除けをちゃんとした方がいいわよ」

千草が心配そうに、しかし、どこか楽し気に微笑んだ。そして、怪我をしたら大変だからと、彼女が和箪笥から絆創膏などを漁っているうちに祖母が帰宅した。

 

昼食は素麺だった。この時期、一週間のうちに一度は目にする食べ物だが、不思議と私は飽きたりしない。昼食は私に用意させてくれるよう頼むと、啓もその作業に加わることとなった。そして再び、私は啓と蒸し暑い台所に立った。

「裏山の神社には、行ったことがある?」

啓が熱い蒸気を噴き出す鍋に、四人分の素麺を入れながら言った。祖母の家の素麺は、決まって一束ずつ色の違う、赤や緑の色のついたものだった。ぐつぐつと低い音を立てて唸る鍋に、色づいた麺が散らばっていく。

「小さい頃に、たぶん。母さんと一緒にしか、このへんを歩いたことはないから」

菜箸で鍋をつつく啓の隣、調理台で薬味を切りながら、私は答えた。傷だらけの木製のまな板に、薄く切ったみょうがが整列している。古びた包丁の切れ味は鈍く、少し手が疲れた。先ほど切り終えたネギと大葉を盛りつけた皿にみょうがを移せば、私の仕事は完了だ。

「よかった。君の知らない場所を、たくさん紹介できそう」

煮え立つ鍋のすぐそばだというのに、啓は少しも動揺せずに微笑んでいる。やはり浮世離れはしているが、本当に嬉しそうな笑顔には好感が持てた。彼が自分をどんな場所へ連れて行ってくれるのか、私はとても楽しみに思った。真昼の日射しが反射して眩しいシンクにまな板と包丁を置くと、啓がそろそろいいかも、と声を上げる。

一度に様々な色の麺を茹でたため、冷えた水を浴びた素麺がとてもカラフルになってしまったのを、一足先に二人だけで笑った。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「ち、よ、こ、れ、い、と」

裏山の神社へ続く石段を半分程上がると、夕焼けに色づいた木々の隙間から家々が覗くのを一望できる。高い階段に息が上がるが、その景色の美しさには疲れも清々しさへと変わった。私はこめかみを伝って流れた汗を手の甲で拭って、下段の方で笑っている啓を見た。

「じゃんけん、強いんだね。ここじゃあ、まだ家が見えないよ」

「こっちは見えるよ。あれって、駅かな」

啓は困ったような顔をして、「日が沈むまでに階段を登れるかな」と呟いた。彼は先ほどから負け続きで、なかなか階段を上がれずにいるのだ。しかし、そんなことはおかまいなしに、彼の後方で刻々と太陽が沈んでいく。

 

昼食後、すぐに席を立った私たちを制したのは、祖母だった。ニュース番組で熱中症の注意喚起が流れているのを聞いたためだ。なんでも、今日は今季一番の暑さなのだという。夏など暑くて当たり前なものだが、確かに思い返せば今日の暑さは桁違いだった。駅からの道のりだけでも、日頃の過ごし方はどうあれ目が回りそうなほど消耗した。それに、普段畑仕事で外に出ていることの多い祖母が危険と言うのだから、従うのが一番だろう。私と啓はこれに了承した。それから2,3時間の間、世間話をしたり、各々で本を読んだり、家事をしたりしてのんびりと過ごした。皆が話に聞いているのかそうでないかは分からないが、誰一人として学校や勉強のことを話題にはしなかった。私はそれが心地よかった。

 

祖母の制止はやはり正しく、日が傾いてから出掛けた外は昼間と違って快適だった。熱の這い上がるアスファルトも、刺すような日を放つ太陽も、今は随分と大人しい。そのまま出掛けていたら、あまりの暑さに探検を楽しむどころではなかっただろう。

 

「この神社に祀られてるのは、女の神様なんだって」

「へえ」

紫や桃色の雲が混じった夕焼け空を眺めていると、下段の啓がこちらを見上げていた。両脇に生えている背の低い木で陰った啓の瞳だけが、濡れて光ったように見える。私は昔、海水浴先の浜辺で拾った石やガラス片のことを思い出した。そのどれもが波に削られて、啓の瞳のように丸く、つやつや輝いていたからだ。

「その女の人は山の神様で、毎年豊作を願ってしめ縄を奉納する行事をやるんだよ。でもね、その神様はすごく嫉妬深くて、女の人をその行事に連れてくると怒るんだ。だからそのときは、男だけがお社に入れるんだよ」

「啓もやったことあるの」

「まさか。僕はまだ子供だから」

祖母の家の近くに、そんな歴史のある神社があったとは。その意外な事実に、私は感銘を受けた。自分の家の周りにもいくつか神社はあるが、田舎などたいした祭りも行事もやらないので、その多くは詳細も知らない建物なのだ。祀られている神様はおろか、神社の名前すらわからない。年配の人々には詳しい人もいたが、自分と同じくらいの子供たちにはまったく縁のない場所だった。せいぜい、皆で集まる広場として使われる程度だ。

「啓もいつか順番がくるかもね。そしたら、またここへ来るよ」

一体どういった行事なのか、見たことがないのでイメージすら湧かない。だが、およそ啓には似つかわしくない祭事に思えて、私はからかい半分にそう言った。すると、啓は想像通り困ったように笑って、「来ないうちに、どこかへ逃げちゃおうかな」と冗談めかした。

「しめ縄はすっごく重いし、お社に着くまで変な歌を歌わなきゃならないんだよ。僕、ここに来て唯一後悔したのはこれかも」

啓が大げさなため息と共に、ひょいとこちらに右手をかざす。じゃんけん勝負の続きだ。私も同じように右手を差し出して、互いに掛け声をあげると啓は握りこぶしを突き出した。

「勝った。ぱ、い、な、つ、ぷ、る」

意気揚々と階段を跳ね上がると、最後のパーでぴったり頂上まで辿り着く。そこには、ごくありふれた神社のお社があった。赤いトタン屋根の建物の扉の前には、赤と白の鈴尾が提げられている。凹凸の激しい石畳を数歩行くと、私は啓を振り返った。

「こっちの勝ちだね。啓、早く昇ってきて」

ぬっと伸びた杉の木に囲まれた神社では、どこからかひぐらしの鳴き声が聞こえていた。私は石段にいるはずの啓に呼びかけるが、木々の隙間からはぬるい風が吹くばかりで返事がない。

「ねえ、ここは何て名前の神社なの」

聞えなかったのだろうか。そう思って、私は話しながら階段の方まで戻っていった。しかし、そこに何故か啓の姿がない。先ほど確かにそこにいた彼の代わりに、石段の上には風に飛ばされた葉や小さな砂利しか残されていなかった。

 

途端に、吹く風が寒く感じられた。私は周りをきょろきょろ見渡すが、啓らしい影も見えなければ、物音も聞こえない。しんと静まり返った神社に、彼を呼ぶ自分の声がこだました。もう一度石段を振り返ると、木に覆われた隙間から見える空には、群青色が混じってきている。その深い色に、私は背筋をぞっとさせた。心地よかったはずの蝉の声が、耳鳴りのように不快に響く。

「啓」

やはり返事はない。鳥居の端に建てられた小さな社の傍、古い地蔵が微笑んでいた。私はその笑みが不気味に感じられて、たまらず視線を逸らす。視線の先には粗末な屋根のかけられた水飲み場があって、その足元にも別の小さな社と鳥居が木の幹に寄りかかるように建っていた。薄暗い景色のどこにも人はおらず、一人ぼっちの恐怖に全身に鳥肌が立つようだった。

 

ここが神社でなければ、啓が飽きて先に帰ったのかもしれない、そう考えられただろう。普段は足も踏み入れない一種非日常な環境に、私は確実に気圧されていた。啓が何かに攫われてしまったのではないかと、そんな馬鹿なことを考えてしまうのもそのためだ。誰かが私をじっと見ていて、啓と同じように攫っていくのではないか。そんなことを考えると、身体が強張ってうまく動くことができない。

 

「啓、どこいったの」

震えそうな喉を、勇気を出して振り絞る。すると、背を向けていたお社から突然、扉の軋む音がした。

「うわあっ」

反射的に声を上げてそちらを振り返ると、そこにいたのは幽霊や怪物などではなく、わずかに開いた隙間から笑いながら顔を出す啓だった。

「驚いたでしょう。ここ、回り道するとお社の後ろにいけるんだよ」

早鐘のような心臓の動きに声も出せずに目を見開いていると、啓は得意げに声を上げて笑った。薄暗い夕焼けの中、彼は愉快そうに何かを話続けていたが、私の耳には届かない。驚きすぎて頭が真っ白になっていたからだ。時間が経つにつれ理性を取り戻すものの、彼が急にいなくなったことへの怒りや声を上げて驚いた恥ずかしさ、おかしな危惧を抱いて怖がっていたことをどう発散したらいいのか分からずただ黙った。結局、抗議する気も自分に落胆する気も失せて、ただ何よりも大きい安堵に身を任せて長い息を吐く。

「それ、どうやって中に入ってるの」

「裏からだと、うまく入れる方法があるんだ。これは子供たちだけの秘密だけど」

秘密に相応しい態度で、啓は声の大きさを落として静かに答えた。見た目に見合わぬその無邪気な振る舞いに、私はふっと微笑む。横開きの古い出入口は結構重いらしく、啓は両手でがたがた鳴る扉を引っ張っていた。先ほどより広くなった隙間を覗いてみるが、灯りひとつついていないので暗くて何も見えなかった。そのことに残念とも良かったとも感じずに、社へ続く階段に私は腰を下ろす。

「神様に攫われたかと思った」

なるべく洒落を言うように呟いた私に、啓は思惑通り冗談と取った様子で言った。

 

「そんなの、絶対あるわけないよ。僕はどこにも行かないから」

 

虹が絶つ

 

 

 

どんよりと影を落とす生徒玄関は、ひどく陰鬱な雰囲気だった。

6月ももう後半、中庭では紫陽花が見事な花を咲かせ、連日雨に濡れている。風情といえば聞こえは良いが、しがない高校生である貴矢にとって、梅雨の時期など迷惑極まりないものでしかなかった。濡れたアスファルトの独特の生臭さ、癖のつく髪の毛、濡れる制服や鞄。そうしたあらゆることが鬱陶しい。一番に、貴矢は昔から傘を持つこと自体、面倒でならないのだ。荷物は増えるし、片手がふさがるので行動範囲が狭まる。かといって、傘を差さずにいちいちずぶ濡れになるわけにもいかない。そのジレンマにはいつもイライラさせられた。そんなくだらないことを、梅雨明けまでの数週間、毎日繰り返さなければならない。仕方がないことなのだと理解はしているが、ため息を溢さずにはいられなかった。

そんなことをかれこれ一週間ほど繰り返しただろうか。いまだ梅雨は明けない。下校しようと生徒玄関に向かった貴矢だが、相変わらずの雨空に外へ出る気力が失せる。小さく息を吐きながら、数人の生徒が外へ出ていく姿を見送った。

天気予報によれば、夕方には雨足が遠ざかるらしい。現在、時刻は午後4時。今日は部活動が休みであるので、日が暮れるまで時間を潰す手立てがない。友人は別の部活動で活動しているし、図書館に行こうにも本を読むのは苦手な方だ。勉強はこれといって分からない部分もない。ここは素直に諦めて、徒歩20分の駅までの道のりを行くべきか。貴矢は棒立ちのままあれこれ考えを巡らせた。

「何してんだ、貴矢」

ふと、背後から聞こえたこちらを訝しむ声に振り向くと、教室棟への階段がある方向から男子生徒が歩いてきていた。背の高い貴矢を不思議そうに見上げるのは、同じクラスの友人である典敬だ。

「雨が降ってるから外に出たくない」

「梅雨時期に何言ってんだ。学校に住む気か?」

ふてくされた子供のように言う貴矢に、典敬は即答する。もっともなことを言われてしまっては、貴矢も返す言葉がないので、ただ笑った。典敬は小柄で大人しそうな容姿の生徒だが、発する言葉や態度は至って堂々としており、気が強い。

「もっと日が落ちたら少しは止むって。典敬、しばらく遊んで」

貴矢は下駄箱にもたれ、脱力しながら典敬に語りかけた。典敬はちらりとそちらを一瞥するが、はあ、とあからさまなため息をつきながら言った。

「お前が美少女だったら俺も相手してやるのに」

イケメンだからいいじゃん、とおどけて見せれば、典敬は『うざっ』と一言、自分の下駄箱から取り出した外履きを地面に落とす。雨水で濡れたコンクリートの玄関からは、晴れた日のような砂埃は一切立たない。貴矢もそれに習って外履きを引き出した。

「お前も、少しは良い傘でも持てばいいのに」

一歩遅れて靴を履き終えた貴矢に向かって、典敬は言った。その声に顔を上げると、クラス別に分けられた傘立ての隣に並んだ彼が、こちらを見ていた。その手には、濡羽色の背の高い傘を携えている。

「傘なんてなんでもいいよ」

典敬は傘に強いこだわりを持っていた。いつからそうなのか、高校からの付き合いである貴矢にはわからないが、とにかく傘には金を惜しまないようだった。一般学生の経済力の範疇に留まる金額ではあれど、典敬が傘一本にかける額は、多くの高校生が別の用途で使用したいと考えるようなものだ。洋服、アクセサリー、雑誌や化粧品・・・。しかし彼にとって、優先すべきは傘らしい。雨も傘も大嫌いな貴矢にとっては、現代人の自分が古典の勉強をしなければならないこと以上に理解しがたいことだ。

「ビニール傘なんてすぐ壊れるだろ」

「安いし、どこでも買えるでしょ。毎日使うものでもないし」

「いやいや、だからこそさ」

貴矢は自分の傘を手に取る。この時期、どれが自分のものなのか、無数の傘に紛れてしまいそうなビニール傘。やわで小さい、どこにでもある大量生産品。

「たまに雨が降って、憂鬱で、けどお気に入りのものを持っていけたら楽しくなるだろ」

「俺は雨ってだけで立ち直れないもん」

「はあ、お前はせっかく平均以上のスタイルと顔面と頭脳を神様から授かったのに、そんなしょぼい傘なんてもったいねーな」

典敬が心底呆れた声で玄関扉を振り返る。俺は無神論者だから、と貴矢が笑うが、その言葉は同時に開いた扉からなだれ込む雨音にかき消された。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

英語なのかそうでないのか、とにかく何を言っているのかひとつも理解できないが、外国語であることは確かな歌が店内に流れている。これは最近流行りなのかな、とぼんやり音楽を聴き流しながら、貴矢はこれまたぼんやりと目の前に無数に並んだ傘を眺めていた。

駅で典敬と別れたあと、貴矢は本来乗るはずだった電車を見逃した。片道20分の最寄り駅まででは、この雨は止みそうにない。そう感じたからだろう。なんだかすべてが面倒になってしまった。学校から駅まで徒歩20分、それから同じくらい電車に乗り、最寄り駅から自宅までさらに15分歩く。たいした時間のかかる道のりではないが、学校からの移動で貴矢はすっかり疲弊してしまった。玄関を出てすぐに雨が強まり、おまけに風も出てくるものだから制服と鞄は湿っぽくなっている。幸いすぐに収まったが、それでも完全に雨が止むことはなかった。典敬はげんなりした貴矢の様子を見て愉快そうに笑っていたが、笑われるほど酷い顔をしていた自覚は確かにある。

電車を見送ってからはしばらく駅内にある休憩所で休んでいたが、やはり雨が止む様子がないのでその辺をうろつくことにした。もちろん、場所は駅内に限るので、自ずと行く場所が限られてくる。貴矢は23か所の候補をあげ、どこへ向かおうかと考えを巡らせた。そこで、典敬の言葉をふと思い出したのだ。少しは良い傘を持ったらどうか、と。

そのようなわけで、傘を求めに訪れたのは生活雑貨の店だった。店内へ足を踏み入れるより先に女性向けの店であることがわかるが、男性の入店が禁止されているわけではないだろう。それに、姉に連れられて出掛けることの多い貴矢は、そういった雰囲気の店にはある程度の耐性がある。暇つぶしの候補に入っていたこの店に、傘も売っていた記憶がうっすらとあったが正解だったようだ。時期も時期なので、店の一角には大々的に雨具のコーナーが設けられている。

貴矢は正直なところ、もうこの店を出てしまおうかとも思った。目の前にお行儀よく整列した傘たちが、普段コンビニなどで購入しているビニール傘の45本分にも及ぶ金額だったからだ。おかげで、好みの傘を吟味するどころではない。傘に3桁以上の金額を払うという考えがない貴矢の脳は、それだけで軽いフリーズ状態に陥っていた。ぐるぐると、置いてある商品が変わるわけもない陳列棚を目で往復する。

ここで傘を買うならば、新しいイヤホンが欲しい。それか、読んでいる漫画の新刊とか、好きな雑誌とか。貴矢の脳裏には、他の暇つぶし候補の店が浮かんでは消えた。否、意識的に消していたのだ。それは貴矢なりの意地だった。

『ここまで来たなら、絶対に傘を買って行こう』

せっかく、普段なら思いもしない傘を目当てにここまで来たのだ。ここで背中を見せて逃げ帰っては、なんとなく自分が情けない気さえした。もっとも、一番の理由は口を滑らせてこのことを典敬に話してしまったときの反応だった。思ったより高くて驚いて帰った、などと聞かされれば、彼は貴矢に腑抜けを見るような目を向けて言うだろう。『だせえ・・・』と。それだけは絶対に避けたい。典敬のあの目と一言は、どんなに強靭な心を持った人間でも胸を痛める最強兵器だ。

貴矢はもう一度、改めてゆっくりと陳列棚を見た。傘は上下2段構成の陳列になっており、ざっと30本は並んでいる。派手な模様のついているものから、一色に塗りつぶされたものまで様々だ。デザイン同様に、サイズにも多くの種類がある。ビニール傘を買うさいには経験できない膨大な情報量に、貴矢は目を瞑りたい思いだったが、どうにか持ち堪えた。時間をかけて選ぶのはこちらが不利なので、好きな色や必要なサイズをある程度検討し、あとは直観に任せる。

 

下段の右から3番目、紺色の傘をするりと引き抜くと、貴矢はそのままレジカウンターへ向かって行った。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

翌日も予報通りの雨だった。雨音で起きた典敬は暗い室内で支度を済ませ、朝食もそこそこに家を出た。雨の日は嫌いではないが、いつまでも暗いのでつい寝坊する日が増える。少しだるい身体に鞄と傘を携えて、駅までの道のりを小走りで進んだ。

10分程で到着する最寄り駅の利用者は少ないが、一人ひとりの手に提げられた傘のせいか、決して広くはないホームがさらに窮屈に感じられる。しかし、寝坊したおかげでいつも乗るはずの電車を逃したので、連日よりはマシなようだ。典敬は、雨粒を弾いた濡羽色の傘を静かにたたみ、次に来た電車に乗り込んだ。この時期、車内には冷房がかかるが、雨に濡れた身体は少し寒さを訴えていた。だが、到着する頃には制服のズボンの端や袖口は乾いてしまうのが常だ。それよりも、この電車では学校に着くのがギリギリになってしまう。その事実の方が、典敬を冷や冷やさせた。

 

「おはよー、典敬」

 

急ぎ足でホームを駆け下りると、現在時刻とは反比例した和やかな様子で貴矢がこちらに手を振っていた。

「お前、今810分だぞ」

左腕に着けた腕時計を指し示すと、貴矢はきょとんとした様子で言った。

「今日、先生出張だから点呼ないよ。一限もそのまま自習だし」

「・・・本当そういうことばっかりは覚えてんのな」

そうだった。今日は担任の教師が出張なので、ホームルームがないのだ。代わって学級委員が点呼を取り後日報告するようだが、そんな情報は頼めば改ざんしてくれるだろう。一限の授業も同じ教師の担当科目なので、プリントこそ出ているものの、誰が見回りに来るでもない自習の時間とされていた。典敬はそのことをすっかり忘れていたのだ。途端に急いでいたのが馬鹿らしくなり、脱力して溜息をひとつつく。忘れてたでしょ、と横から微笑む貴矢の顔が、すこし憎らしい。こいつは優等生のくせに、こうした悪知恵を働かせる力もいっちょ前に持ち合わせているのだ。

 

「それでね、見てよこれ」

ゆっくり改札口に向かっていた足を、貴矢が唐突に止めて言った。それと同時に、彼の美しく伸びた長い脚の影から、一本の傘が差しだされた。

 

「新しい傘、買ったよ」

真新しい匂いが漂ってきそうな、光沢を持った新品の傘に典敬は目を丸くした。その傘は上品な紺色で、自身の傘とは異なる美しさを持っている。典敬の心臓が、ドキリと脈打った。それは、美しいものに胸を打たれるような、あの高揚感からではない。体内を何か鋭いものが走るような、腹の底が冷える緊張感だ。

「これね、内側は青空がプリントされてるんだって。ちょっと子供っぽいかな」

貴矢が笑う。普段の様子からは想像できない、悪戯っぽい子供のような笑顔。コツン、と傘の石突きを地面に当てると、彼は意見を求めるように首を傾げた。地面につけられた傘の背丈は、貴矢の新品の傘の方が上だ。典敬と二人、並んだ時と同様に。

 

典敬は呆然と立ち尽くしていた。互いの持つ傘を眺めながら、貴矢に何を言うでもなく。

ただ、この傘は貴矢に似て美しいと、それだけは思った。

大人びた凛々しい濡羽色の傘と、平凡な自分の釣り合わない姿とは違う。

 

人気のなくなってきた駅のホームに、硬質な乾いた音が響いたのに貴矢はびくりとした。見ると、その音は典敬が自分の傘を地面に落としてしまった音らしい。拾うこともなくぼうっと突っ立っている典敬に、『まだ寝てるの』と微笑みかけた

貴矢が濡羽色に手をかけた瞬間、典敬は低く押し殺したような声で、こう言った。

 

「似合うじゃん、それ」

 

え、と貴矢が身体を起こすより早く、典敬は走り出す。

「典敬」

あまりに敏捷に駆けていく典敬を追いかけることもできず、ただ一言名前を叫ぶが彼は止まらなかった。バタバタと足音を立てて、鞄を振り乱して改札を通っていく。貴矢は訳も分からず、先ほど典敬がそうしていたように、ぼうっとその場に立ち尽くした。

 

何故、彼はあんなに苦しそうな声だったんだろう。

お気に入りの傘まで、こんなところに捨て置くのだろう。

貴矢にはわからない。

 

新品の傘と共に、その濡羽色の傘も携え学校に向かったが、その日一日典敬は欠席した。

 

日記です

皆さまこんばんわ。美ヶ原です。

今日で八月も最後ですが、どのように過ごされましたか?私は13時間ほど眠っていました。

 

最近、昼間でも秋の虫が鳴くようになってきましたね。住んでいる環境にもよると思いますが、

私の実家は大変田舎にあるのでそのような様子です。しかし相変わらず日中はそこそこ夏らしい気温で、朝晩との寒暖差が原因か、2、3日前から軽く喉を傷めております。皆さま、季節の変わり目には十分注意してくださいね。

 

八月が終わると、気温がどうあれ夏も過ぎ去ってしまったような気分になります。私は夏が好き、というか夏以外の季節に突出した感情を持っていないので、毎年この時期は寂しいです。それでも過ぎていくのが季節というものですので、また来年のお楽しみということで。

 

そして、すっかり触れるのを忘れていたのですが、8月29日をもってJACKが一周年を迎えていたようです。

ものすごく語彙力のない正直な感想を述べますが、とても一年運営しているとは思えない更新回数でびっくりしました。はい。

何はともあれ、焼肉の日と同日であることに先ほど気付いてしまったので皆様も良かったら覚えてくださいね。焼肉大好き!!

 

愛用のスケジュール帳のメモ欄にひっそりと『サイトを一ヵ月に一度は更新する』と書かれていたのですが、すでに1年の半分以上が過ぎ去った今、その目標はとんでもない大嘘となっております。9月を節目にその目標を達成していきたいですね(大嘘)。

それでは皆様、良い夜を。

 

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なんだこの予測変換。