虹が絶つ

 JUGEMテーマ:短編小説

 

 

 

どんよりと影を落とす生徒玄関は、ひどく陰鬱な雰囲気だった。

6月ももう後半、中庭では紫陽花が見事な花を咲かせ、連日雨に濡れている。風情といえば聞こえは良いが、しがない高校生である貴矢にとって、梅雨の時期など迷惑極まりないものでしかなかった。濡れたアスファルトの独特の生臭さ、癖のつく髪の毛、濡れる制服や鞄。そうしたあらゆることが鬱陶しい。一番に、貴矢は昔から傘を持つこと自体、面倒でならないのだ。荷物は増えるし、片手がふさがるので行動範囲が狭まる。かといって、傘を差さずにいちいちずぶ濡れになるわけにもいかない。そのジレンマにはいつもイライラさせられた。そんなくだらないことを、梅雨明けまでの数週間、毎日繰り返さなければならない。仕方がないことなのだと理解はしているが、ため息を溢さずにはいられなかった。

そんなことをかれこれ一週間ほど繰り返しただろうか。いまだ梅雨は明けない。下校しようと生徒玄関に向かった貴矢だが、相変わらずの雨空に外へ出る気力が失せる。小さく息を吐きながら、数人の生徒が外へ出ていく姿を見送った。

天気予報によれば、夕方には雨足が遠ざかるらしい。現在、時刻は午後4時。今日は部活動が休みであるので、日が暮れるまで時間を潰す手立てがない。友人は別の部活動で活動しているし、図書館に行こうにも本を読むのは苦手な方だ。勉強はこれといって分からない部分もない。ここは素直に諦めて、徒歩20分の駅までの道のりを行くべきか。貴矢は棒立ちのままあれこれ考えを巡らせた。

「何してんだ、貴矢」

ふと、背後から聞こえたこちらを訝しむ声に振り向くと、教室棟への階段がある方向から男子生徒が歩いてきていた。背の高い貴矢を不思議そうに見上げるのは、同じクラスの友人である典敬だ。

「雨が降ってるから外に出たくない」

「梅雨時期に何言ってんだ。学校に住む気か?」

ふてくされた子供のように言う貴矢に、典敬は即答する。もっともなことを言われてしまっては、貴矢も返す言葉がないので、ただ笑った。典敬は小柄で大人しそうな容姿の生徒だが、発する言葉や態度は至って堂々としており、気が強い。

「もっと日が落ちたら少しは止むって。典敬、しばらく遊んで」

貴矢は下駄箱にもたれ、脱力しながら典敬に語りかけた。典敬はちらりとそちらを一瞥するが、はあ、とあからさまなため息をつきながら言った。

「お前が美少女だったら俺も相手してやるのに」

イケメンだからいいじゃん、とおどけて見せれば、典敬は『うざっ』と一言、自分の下駄箱から取り出した外履きを地面に落とす。雨水で濡れたコンクリートの玄関からは、晴れた日のような砂埃は一切立たない。貴矢もそれに習って外履きを引き出した。

「お前も、少しは良い傘でも持てばいいのに」

一歩遅れて靴を履き終えた貴矢に向かって、典敬は言った。その声に顔を上げると、クラス別に分けられた傘立ての隣に並んだ彼が、こちらを見ていた。その手には、濡羽色の背の高い傘を携えている。

「傘なんてなんでもいいよ」

典敬は傘に強いこだわりを持っていた。いつからそうなのか、高校からの付き合いである貴矢にはわからないが、とにかく傘には金を惜しまないようだった。一般学生の経済力の範疇に留まる金額ではあれど、典敬が傘一本にかける額は、多くの高校生が別の用途で使用したいと考えるようなものだ。洋服、アクセサリー、雑誌や化粧品・・・。しかし彼にとって、優先すべきは傘らしい。雨も傘も大嫌いな貴矢にとっては、現代人の自分が古典の勉強をしなければならないこと以上に理解しがたいことだ。

「ビニール傘なんてすぐ壊れるだろ」

「安いし、どこでも買えるでしょ。毎日使うものでもないし」

「いやいや、だからこそさ」

貴矢は自分の傘を手に取る。この時期、どれが自分のものなのか、無数の傘に紛れてしまいそうなビニール傘。やわで小さい、どこにでもある大量生産品。

「たまに雨が降って、憂鬱で、けどお気に入りのものを持っていけたら楽しくなるだろ」

「俺は雨ってだけで立ち直れないもん」

「はあ、お前はせっかく平均以上のスタイルと顔面と頭脳を神様から授かったのに、そんなしょぼい傘なんてもったいねーな」

典敬が心底呆れた声で玄関扉を振り返る。俺は無神論者だから、と貴矢が笑うが、その言葉は同時に開いた扉からなだれ込む雨音にかき消された。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

英語なのかそうでないのか、とにかく何を言っているのかひとつも理解できないが、外国語であることは確かな歌が店内に流れている。これは最近流行りなのかな、とぼんやり音楽を聴き流しながら、貴矢はこれまたぼんやりと目の前に無数に並んだ傘を眺めていた。

駅で典敬と別れたあと、貴矢は本来乗るはずだった電車を見逃した。片道20分の最寄り駅まででは、この雨は止みそうにない。そう感じたからだろう。なんだかすべてが面倒になってしまった。学校から駅まで徒歩20分、それから同じくらい電車に乗り、最寄り駅から自宅までさらに15分歩く。たいした時間のかかる道のりではないが、学校からの移動で貴矢はすっかり疲弊してしまった。玄関を出てすぐに雨が強まり、おまけに風も出てくるものだから制服と鞄は湿っぽくなっている。幸いすぐに収まったが、それでも完全に雨が止むことはなかった。典敬はげんなりした貴矢の様子を見て愉快そうに笑っていたが、笑われるほど酷い顔をしていた自覚は確かにある。

電車を見送ってからはしばらく駅内にある休憩所で休んでいたが、やはり雨が止む様子がないのでその辺をうろつくことにした。もちろん、場所は駅内に限るので、自ずと行く場所が限られてくる。貴矢は23か所の候補をあげ、どこへ向かおうかと考えを巡らせた。そこで、典敬の言葉をふと思い出したのだ。少しは良い傘を持ったらどうか、と。

そのようなわけで、傘を求めに訪れたのは生活雑貨の店だった。店内へ足を踏み入れるより先に女性向けの店であることがわかるが、男性の入店が禁止されているわけではないだろう。それに、姉に連れられて出掛けることの多い貴矢は、そういった雰囲気の店にはある程度の耐性がある。暇つぶしの候補に入っていたこの店に、傘も売っていた記憶がうっすらとあったが正解だったようだ。時期も時期なので、店の一角には大々的に雨具のコーナーが設けられている。

貴矢は正直なところ、もうこの店を出てしまおうかとも思った。目の前にお行儀よく整列した傘たちが、普段コンビニなどで購入しているビニール傘の45本分にも及ぶ金額だったからだ。おかげで、好みの傘を吟味するどころではない。傘に3桁以上の金額を払うという考えがない貴矢の脳は、それだけで軽いフリーズ状態に陥っていた。ぐるぐると、置いてある商品が変わるわけもない陳列棚を目で往復する。

ここで傘を買うならば、新しいイヤホンが欲しい。それか、読んでいる漫画の新刊とか、好きな雑誌とか。貴矢の脳裏には、他の暇つぶし候補の店が浮かんでは消えた。否、意識的に消していたのだ。それは貴矢なりの意地だった。

『ここまで来たなら、絶対に傘を買って行こう』

せっかく、普段なら思いもしない傘を目当てにここまで来たのだ。ここで背中を見せて逃げ帰っては、なんとなく自分が情けない気さえした。もっとも、一番の理由は口を滑らせてこのことを典敬に話してしまったときの反応だった。思ったより高くて驚いて帰った、などと聞かされれば、彼は貴矢に腑抜けを見るような目を向けて言うだろう。『だせえ・・・』と。それだけは絶対に避けたい。典敬のあの目と一言は、どんなに強靭な心を持った人間でも胸を痛める最強兵器だ。

貴矢はもう一度、改めてゆっくりと陳列棚を見た。傘は上下2段構成の陳列になっており、ざっと30本は並んでいる。派手な模様のついているものから、一色に塗りつぶされたものまで様々だ。デザイン同様に、サイズにも多くの種類がある。ビニール傘を買うさいには経験できない膨大な情報量に、貴矢は目を瞑りたい思いだったが、どうにか持ち堪えた。時間をかけて選ぶのはこちらが不利なので、好きな色や必要なサイズをある程度検討し、あとは直観に任せる。

 

下段の右から3番目、紺色の傘をするりと引き抜くと、貴矢はそのままレジカウンターへ向かって行った。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

翌日も予報通りの雨だった。雨音で起きた典敬は暗い室内で支度を済ませ、朝食もそこそこに家を出た。雨の日は嫌いではないが、いつまでも暗いのでつい寝坊する日が増える。少しだるい身体に鞄と傘を携えて、駅までの道のりを小走りで進んだ。

10分程で到着する最寄り駅の利用者は少ないが、一人ひとりの手に提げられた傘のせいか、決して広くはないホームがさらに窮屈に感じられる。しかし、寝坊したおかげでいつも乗るはずの電車を逃したので、連日よりはマシなようだ。典敬は、雨粒を弾いた濡羽色の傘を静かにたたみ、次に来た電車に乗り込んだ。この時期、車内には冷房がかかるが、雨に濡れた身体は少し寒さを訴えていた。だが、到着する頃には制服のズボンの端や袖口は乾いてしまうのが常だ。それよりも、この電車では学校に着くのがギリギリになってしまう。その事実の方が、典敬を冷や冷やさせた。

 

「おはよー、典敬」

 

急ぎ足でホームを駆け下りると、現在時刻とは反比例した和やかな様子で貴矢がこちらに手を振っていた。

「お前、今810分だぞ」

左腕に着けた腕時計を指し示すと、貴矢はきょとんとした様子で言った。

「今日、先生出張だから点呼ないよ。一限もそのまま自習だし」

「・・・本当そういうことばっかりは覚えてんのな」

そうだった。今日は担任の教師が出張なので、ホームルームがないのだ。代わって学級委員が点呼を取り後日報告するようだが、そんな情報は頼めば改ざんしてくれるだろう。一限の授業も同じ教師の担当科目なので、プリントこそ出ているものの、誰が見回りに来るでもない自習の時間とされていた。典敬はそのことをすっかり忘れていたのだ。途端に急いでいたのが馬鹿らしくなり、脱力して溜息をひとつつく。忘れてたでしょ、と横から微笑む貴矢の顔が、すこし憎らしい。こいつは優等生のくせに、こうした悪知恵を働かせる力もいっちょ前に持ち合わせているのだ。

 

「それでね、見てよこれ」

ゆっくり改札口に向かっていた足を、貴矢が唐突に止めて言った。それと同時に、彼の美しく伸びた長い脚の影から、一本の傘が差しだされた。

 

「新しい傘、買ったよ」

真新しい匂いが漂ってきそうな、光沢を持った新品の傘に典敬は目を丸くした。その傘は上品な紺色で、自身の傘とは異なる美しさを持っている。典敬の心臓が、ドキリと脈打った。それは、美しいものに胸を打たれるような、あの高揚感からではない。体内を何か鋭いものが走るような、腹の底が冷える緊張感だ。

「これね、内側は青空がプリントされてるんだって。ちょっと子供っぽいかな」

貴矢が笑う。普段の様子からは想像できない、悪戯っぽい子供のような笑顔。コツン、と傘の石突きを地面に当てると、彼は意見を求めるように首を傾げた。地面につけられた傘の背丈は、貴矢の新品の傘の方が上だ。典敬と二人、並んだ時と同様に。

 

典敬は呆然と立ち尽くしていた。互いの持つ傘を眺めながら、貴矢に何を言うでもなく。

ただ、この傘は貴矢に似て美しいと、それだけは思った。

大人びた凛々しい濡羽色の傘と、平凡な自分の釣り合わない姿とは違う。

 

人気のなくなってきた駅のホームに、硬質な乾いた音が響いたのに貴矢はびくりとした。見ると、その音は典敬が自分の傘を地面に落としてしまった音らしい。拾うこともなくぼうっと突っ立っている典敬に、『まだ寝てるの』と微笑みかけた

貴矢が濡羽色に手をかけた瞬間、典敬は低く押し殺したような声で、こう言った。

 

「似合うじゃん、それ」

 

え、と貴矢が身体を起こすより早く、典敬は走り出す。

「典敬」

あまりに敏捷に駆けていく典敬を追いかけることもできず、ただ一言名前を叫ぶが彼は止まらなかった。バタバタと足音を立てて、鞄を振り乱して改札を通っていく。貴矢は訳も分からず、先ほど典敬がそうしていたように、ぼうっとその場に立ち尽くした。

 

何故、彼はあんなに苦しそうな声だったんだろう。

お気に入りの傘まで、こんなところに捨て置くのだろう。

貴矢にはわからない。

 

新品の傘と共に、その濡羽色の傘も携え学校に向かったが、その日一日典敬は欠席した。

 

日記です

皆さまこんばんわ。美ヶ原です。

今日で八月も最後ですが、どのように過ごされましたか?私は13時間ほど眠っていました。

 

最近、昼間でも秋の虫が鳴くようになってきましたね。住んでいる環境にもよると思いますが、

私の実家は大変田舎にあるのでそのような様子です。しかし相変わらず日中はそこそこ夏らしい気温で、朝晩との寒暖差が原因か、2、3日前から軽く喉を傷めております。皆さま、季節の変わり目には十分注意してくださいね。

 

八月が終わると、気温がどうあれ夏も過ぎ去ってしまったような気分になります。私は夏が好き、というか夏以外の季節に突出した感情を持っていないので、毎年この時期は寂しいです。それでも過ぎていくのが季節というものですので、また来年のお楽しみということで。

 

そして、すっかり触れるのを忘れていたのですが、8月29日をもってJACKが一周年を迎えていたようです。

ものすごく語彙力のない正直な感想を述べますが、とても一年運営しているとは思えない更新回数でびっくりしました。はい。

何はともあれ、焼肉の日と同日であることに先ほど気付いてしまったので皆様も良かったら覚えてくださいね。焼肉大好き!!

 

愛用のスケジュール帳のメモ欄にひっそりと『サイトを一ヵ月に一度は更新する』と書かれていたのですが、すでに1年の半分以上が過ぎ去った今、その目標はとんでもない大嘘となっております。9月を節目にその目標を達成していきたいですね(大嘘)。

それでは皆様、良い夜を。

 

?

 

なんだこの予測変換。

 

第二話 俺たちはシヴァ・セブン

JUGEMテーマ:オリジナルファンタジー

 

 

 

真っ白に洗い上げられたシーツの広がるベッドに、二人の男が沈んでいた。一人はシーツと同様に真っ白の頭髪を、もう一人は対照的な漆黒の髪を寝台に散らして眠っている。うなじを隠すように伸ばした髪、白い肌、整った顔立ちに均整のとれた身体。長い睫毛に縁どられた瞼を閉じて眠る二人は、双子のようにそっくりだ。柔らかな朝日に照らされ、静かな呼吸を繰り返す二人の姿には、神秘的な美しさがあった。

やがて、白髪の方の男が目を覚ました。睫毛の間から、アイスブルーの瞳がのぞく。男は怠そうに目を擦ると、やがてベッドから身を起こした。男が背筋を伸ばすのと同時に、背に生えた赤い羽根が、ぶるりと震えた。

「おい、起きろよ」

繊細な顔立ちに反して、ぶっきらぼうな低い声で男は呟いた。黒髪の方は反応を示さず、安らかな呼吸を繰り返している。

「朝だぞ」

黒髪の男の肩を無遠慮に揺すると、白髪はまたもやぶっきらぼうに掛布をはいでベッドから出た。黒髪の男はうっとおしそうに呻いたが、何を言うでもなくベッドから半身を起こす。こちらもまた、ぐしゃぐしゃとぶっきらぼうに頭を掻く。背に生えた漆黒の羽根が、小さくはためいた。

「朝飯、適当につくるけど何がいい」

「別になんでも・・・」

黒髪は顔を洗っていた白髪からタオルを受け取ると、自身もそれに習った。冷たい水を肌に浴びると、目が冴える。二人が一日を迎えるのと同じように、外からは活動を始める人々の生活音がかすかに聞こえていた。窓から射しこむ日は心地よく、どうやら外は晴天のようだ。いつもと変わらぬ穏やかな朝に、二人は心に爽やかな風が吹くような気がした。

 

「って、この状況に順応してる場合じゃねえ!!」

歯ブラシを手に取ったシヴァが振り返ると、黒髪のシヴァが頷いた。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「名前は」

「シヴァ・セブン」

「出身は」

「ミサのイースター」

「家族構成」

「両親、兄、姉、妹」

「年齢」

23

「好きな食べ物」

「コーヒーゼリー」

キッチンに備え付けられたテーブルで向かい合いながら、シヴァは目の前の男に質問を投げかける。男はシヴァとまったく同じ声で、まったく同じ個人情報を語るだけだ。異なるところといえば、自身とは対照的な黒い頭髪くらいだろうか。白髪のシヴァは大きなため息をひとつつき、朝食のヨーグルトを一口すくった。お隣さんの手作りのヨーグルトは、プレーンで食べても飽きがこない良い味だ。とはいえ、このような状況ではその味を素直に楽しむことなどできやしない。

「その質問、夜にもしたじゃねえかよ」

「それにしたって疑わしいだろ。突然現れたそっくりさんが本人だとか言い出したら」

「だから、本人も何もシヴァ・セブンは俺一人だろ」

現にシヴァ・セブンが二人いるわけだが。シヴァはううんと唸ってスプーンを置いた。目の前でスクランブルエッグを食べているもう一人のシヴァ・・・通称黒シヴァは不機嫌そうな顔でシヴァを見つめている。

黒シヴァは昨夜帰宅した際、シヴァの自宅で眠っていた謎の男だ。あまりに不可思議なこの出会いに、二人は冷静でいられるわけもなく散々騒ぎ立てたが、時刻が夜中であったことと疲労から、話は朝に持ち越しとなった。男は話を聞く限り、確かにシヴァのようだが、それが二人も存在しているなどありえない。ならば人ならざる何かか、といわれればそういった類でもなく、シヴァは幽体離脱もできなければ、幻覚を見るようになった覚えもなかった。ならばこの男は本当にシヴァ・セブンで、自分自身も紛れもなくシヴァ・セブンなのである。しかし、頭でそうと分かっていてもとても飲み込める事態ではない。

「お前、どこから来たんだ?昨夜は何してた?」

今度は黒シヴァがココアの入ったマグカップに口をつけながら問うた。

「どこからってなあ・・。フツーにグール討伐して、フツーに噴水広場から帰ってきた」

「俺と同じか。ていうか、ランプのハンターなんだから当然だよな」

黒シヴァが困ったように眉を下げた。どうやらお互いに、昨夜は仕事をこなして帰宅したらしい。シヴァがランプ支部に配属されたハンターであるように、黒シヴァもまた、同じ国に属しているハンターであった。聞けば黒シヴァの言うランプの街も、シヴァが見慣れたものと同じ様子らしい。

「まあ、お互いが何者かはいっそ置いておこう」

このまま尋問を繰り返したところで、答えはすべて自分で予測できる。諦めたような声色でシヴァが言うと、黒シヴァも同意して頷いた。

「それよりも、同じ人間が二人いるこの状況をどうするかだな」

黒シヴァの言う通りだ。しかし、それを打破するための手がかりも手段も、二人は持ち合わせていない。というか、突然同じ人間が二人に増えた状態では外に出ることすらできないのだ。今朝の新聞も、ベランダから見える街の様子もなんら異常はなく、異変が起こっているのはどうやらこの201号室だけらしい。二人がむやみに騒ぎ立てて、街中に混乱を招くなどあってはならないことだった。それだけは避けたいものだが、外出しなければ生活がままならないのも事実だ。

「そうは言っても、俺たち二人じゃどうにもならねえ・・」

そのことについては、お互い理解をしているのが目で分かる。だからこそ、シヴァは肩を落として呟いた。まさに猫の手も借りたい状況。公にすることもできないが、同じ人間が二人揃ったところで解決できるわけがなかった。事実、二人はこれまでにどちらが本物かを言い争う程度のことしかできていない。口を開いたところで、どこから来たのか、何をしに来たのか、そんな内容が堂々巡りするばかりだ。結果、眉間に皺を寄せあいながら、二人分の朝食が並べられて狭くなったテーブルに黙って視線を落としている。二人は同時にため息をついた。

 

ピンポーン。

 

重い雰囲気の食卓に、突如間の抜けたインターホンの音が響いた。

「「!!!!!!!!」」

二人の背の羽根がびくりと広がる。玄関を背に食卓についていたシヴァが、黒シヴァに隠れるようジェスチャーを送る。

「なんで俺が隠れるんだよ!ここは俺の部屋だろ」

「馬鹿なこと言ってんじゃねえ、俺の部屋だ!!」

そんなシヴァを無視して、黒シヴァは小声で彼に抗議した。お互いが何者かは放っておこうと提案したのもつかの間、201号室の家主が自分であることを主張し合う二人だが、そんなことを来客は知りもしない。軽いノック音と共に、ドアの向こうから声が響いた。

「おはよう、先輩。まだ寝てるのかい」

どうやら声の主は、同じランプ支部のハンター、トルエノ・マリアヌらしい。聞きなれた物柔らかな声に、シヴァは今ばかりは家族のような安心感を覚えた。この状況がバレてしまっても、一般市民よりは落ち着いていた反応を示してくれるだろう。まあ、もちろんバレてほしくはないのだが。

「トルエノか、ちょっと待ってくれ」

安心したのもつかの間、堂々と返事をした黒シヴァの声に再び羽根を震わせる。

「なに堂々と答えてんだ、まっくろくろすけ!」

「誰がまっくろくろすけだ!!この白髪ネギ!!」

反射的に黒シヴァを叱責したシヴァの頭に、ふと疑問がよぎった。黒シヴァの暮らしている環境が自身とまったく同じであることはわかっている。ならば、同じランプ支部のハンターであるトルエノを知っていても、おかしなことはない。だが・・・

「なあ、お前の知ってるトルエノって、どんな奴だ」

「はあ?トルエノは後輩のハンターだよ」

目の前のシヴァの黒い頭髪、黒い羽根。同じ人間だが、ほんの少し異なる見た目。もしかしたら、黒シヴァの言っているトルエノと、シヴァの知るトルエノとは見た目の異なる人物なのではないか。そう考えたのだ。

「そうじゃなくて、髪の毛の色とか・・・見た目だよ」

「見た目・・・」

そこまで言って、黒シヴァも察したらしい。目の前にいる、少し見た目の異なる自分。お互いの知る後輩が、もしかしたら異なる容姿なのではないか。ならば、今ここへ来客として来た彼の姿で、どちらが本物の『シヴァ・セブン』なのかがはっきりする。この201号室から外の世界は、なんの異変も起きていないのだから。

「髪の毛は、青色」

黒シヴァは言うなり、玄関のドアスコープめがけて駆けて行った。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「なるほど。大変だねえ、先輩も」

口では労いの言葉をかけつつも、トルエノはしごく愉快そうに言い放った。オレンジ色の頭髪に隠れた、特徴的な垂れ目が細められる。

「まあな。偽物とわかったこいつの方が、大変だろうがな」

シヴァは隣に腰かけた黒シヴァを親指で指しながら、いたずらっぽく微笑んだ。

「だから!偽物じゃなくて俺もシヴァなの!!」

対して、黒シヴァは怒りに頬を染めながら抗議の声を上げている。

 

「髪の毛は、青色」

そう言いながら彼がドアスコープを覗いたとき、目の前に立っていたのは、オレンジ色の頭髪のトルエノだった。コンマ2秒で「誰だこいつ!!!!!!!」と叫んでしまったのは不可抗力である。おかげでトルエノに事情を説明せざるを得なくなってしまったが、彼は珍しい動物を見るかのように、楽し気に黒シヴァに接した。もともと不思議なくらい、あらゆる事柄に落ち着いて対処する男なのである。恐らくシヴァと同じ目にあっても、なんだかんだ自分自身と楽しくやっていただろう。

「まあまあ、先輩もそんなに虐めちゃいけないよ。あ、お菓子食べるかい」

「迷子の子供みたく扱うんじゃねえー!もう23歳だ!!」

「うるせえぞ!!大声上げたらお隣さんびっくりすんだろ!」

ひとつ誤算があったといえば、彼の順応力が高すぎて黒シヴァが玩具にされ始めたことだ。認めたくないとはいえ、黒シヴァは自分自身であるため、見てていたたまれなくなってくる。場の雰囲気も、異常な状況とはいえ和やかになってきたが、それは裏を返せば騒がしさが増すということだった。おかげで、周りに知れてしまうのではと冷や冷やさせられる。

「黒い先輩の後輩の俺は、どんな感じなんだい」

トルエノが頬杖をつきながら訪ねた。彼の海の底のように深い青色の瞳は、好奇心から楽し気に輝いている。

「髪の色以外は、あんまり変わらねえよ。俺とこいつみたくな」

「へえ、そいつは面白い」

「面白くてたまるか。街も、部屋も、同僚もみんな同じはずなのに・・・それでもここは、俺の知ってるランプじゃないなんて」

黒シヴァがさも恨めしそうにトルエノを睨む。こうして見ていると、実際、黒シヴァは迷子の子供同然であった。自分の知っていると思っていた街や人が、知らないうちに知らないものに変わっていて、自分だけが取り残されているのだから。怒りながらもすっかり落胆している彼の様子に、トルエノは申し訳なさそうに一言詫びた。

「それなんだけど、話を聞く限り、パラレルワールドってやつじゃないかなあ」

「「パラレルワールド」」

それから一口ココアを啜ると、真剣な表情でそう口にした。そんな彼の表情とは対照的に、二人のシヴァは呆けた顔で耳慣れぬ言葉を復唱する。

「そう。並行世界ともいうね。簡単に言うと、ひとつの世界から分岐してる、別次元の似通った世界のこと」

「似通った世界?」

黒シヴァは小声で呟くと、そのままシヴァと二人で見つめ合った。

「例えば、今ここで先輩はココアを出してくれたけれど、さっき紅茶とコーヒーもあるって言ってたよね」

「おう」

一言では理解しきれていない二人を悟って、トルエノはしばらく考えるように宙に視線をやってから説明し出す。飲み物の種類を示すように立てられていく彼の長い指を、シヴァたちは食い入るように見つめた。

「で、俺はココアを選んだけど、もしかしたら紅茶を選ぶ可能性もあったわけだ。コーヒーも同様ね。ココアを選んだ未来は、つまり今。でも、紅茶を選んだ未来、コーヒーを選んだ未来も、分からないだけで同時に存在している可能性がある」

トルエノが人差し指、中指、薬指と順に立てた指を目一杯開く。選んだ選択肢が、それぞれの未来へ枝分かれしていくことを表しているのだろう。黒シヴァが感心したように言った。

「それが分岐した別次元ってわけか」

「まあね。とはいえ、今例に挙げたことは、パラレルワールドの一部にすぎない。パラレルワールドっていうのはつまり、『あるかもしれない世界』ってこと。今話した選択肢の違いによるものだけがそうじゃないんだよね。実際、先輩はその例には当てはまらないでしょう」

黒シヴァはしばし考え込んだ後、ひとつ頷いた。

「そうだな。俺は過去にコーヒーを選んだから、こいつと違って黒髪なわけでもなんでもない。生まれてこの方こうだし、なによりお前らと過ごしてる世界が、丸ごと違うもんな気がする」

「じゃあ、お前の存在する世界は、あったかもしれない俺のもうひとつの現実ってことか?」

黒シヴァに続いて、シヴァがすかさず口を突くと、トルエノが「恐らくね」と神妙に頷いてみせた。

ここまで説明を受けて、正直な話シヴァたちはトルエノの仮説を飲み込み切れずにいた。その仮説が、あまりにも現実離れしていたせいだ。うさんくさいオカルト番組を観た後のような、信じられないが信じておこうという、そんな矛盾した気分。しかし、理解しがたい一方で、彼の言うパラレルワールドの話には今の状況を納得させるものがあったのも確かだ。黒シヴァの語る世界か、はたまた白シヴァの存在する世界か、どちらを起点に、どちらが分岐したものであるかはわからないが、互いの世界は密接な関係があるように思える。そして、トルエノの登場により現在黒シヴァの存在している世界が彼の知るものではないことが明らかになっている以上、何が原因かは不明だが、分岐した世界に迷い込んでいるのは黒シヴァの方らしい。

「つまり、俺の知らない別の次元に、別の俺の存在する世界があって・・」

「俺の知ってる世界から、似てる別の世界に、俺は来て・・」

状況を整理するようにシヴァが語ると、黒シヴァも自身の状況をゆっくりと語っていく。

「じゃあ、俺の知ってるランプの街には、俺は今存在してねえのか!?」

黒シヴァの顔が、みるみるうちに青ざめていく。無理もないだろう。この仮説を踏まえれば、彼の存在していた世界で、彼は行方不明という扱いになるのだから。その様子に、シヴァも不安げな表情を浮かべた。どうやら、事態は二人が考えていたより深刻なもののようだ。

一気に静まり返った二人を宥めるように、トルエノはごく冷静な声色で話始めた。

「とはいえ、これはあくまで俺の仮説。とんだ見当違いの可能性だってあるんだし、気にする必要はないさ。とにかく、黒い先輩が元の世界に戻れるように、俺はいくらでも協力するよ」

トルエノは、他人事だと思ってこのようなことを言っているわけではない。協力すれば黒シヴァが本来の世界に帰ることができると、本気で信じているのだ。人の悩みに決して口ばかりの安易な返事をしない、こうした彼の性質を理解していてなお、二人の胸中には拭いきれない不安が漂っていた。

「それもそうだな」

しかし、そんな不安を抱きながらも、シヴァはできるだけ自然にそう言った。弱気になるべきは自分ではない。仮説の真偽はどうあれ、誰より不安を抱くべきは黒シヴァの方だ。自分が狼狽えていては、かえって彼を追い詰めることとなってしまう。

「お前のオカルト好きには困ったもんだぜ。俺とこいつは見た目通り繊細なんだからな、滅多なこと言ってビビらせるんじゃねえよ」

シヴァが軽口を叩きながら歯を見せて笑う。すると、俯きがちだが黒シヴァも軽く微笑んで、「自分で言うなよ」と腕を肘で小突いてきた。その様子がおかしかったのか、トルエノも小さく声を上げて笑った。一瞬、凍り付いたように寒々とした空気を放ったキッチンだが、それは些細な一言で温度を取り戻す。

何が信じるに値するのか、それを量るほどこの状況を説明できる説はいくつも出ていない。だとしても、とにかく今はこの二人を信じよう。黒シヴァは胸の内の憂いをかき消すように、マグカップに残った微量のココアを飲み干した。